おおお

21エモンやってる
映画かなんかで1回見たくらいで原作も読んだことなかったけど、思った以上にSFな作品だったのね。
今見ても結構面白い。
 
そういえば、劇場版ドラえもんが「のび太の恐竜」をリメイクする形で復活するらしい。
最新の学説を取り入れ……とか最新のCGで……とかあるけど、別にそこらへんはどうでもいい気も。
 
種死を見てると思うんだけど、元からあるキャラクターを利用して、新しい物語を作ろうとしたとき、原作以上に気をつけなくてはいけないのは、作り手の理念なんじゃないだろうか。
何を作りたいのか。何を見せたいのか。何を感じてほしいのか。
昔のアニメや漫画で人気が出たものであれば、そこらへんは大体しっかりしているんだけど、それに気付くのは、大人になって振り返ってみてからだったりする。
成長してから見てそういうのが分かるのは、ある意味当たり前。読み取る力があるから。でも、子供に人気が出るということは、そういうのをさりげなく、かつわかりやすく伝えられていたということなのだろう。
時代が流れて、昔そういったものに触れて成長してきた人が、今度は作り手として物を作るとき、大人の目線から作ってしまう可能性が生まれる。なまじ過去の作品があるからこそ、それを分析し、勝手な解釈をして、「こうやればウケるだろう」とかやりだすと、中身がないものになっちゃう危険性もあるんじゃないかと。
展開させる方向性を変えて、大人が見て面白いアニメに辿りつくこともできるんだけど、みんながみんなそうなってしまってはいけないわけで。
 
最近では非現実を映像にする技術が発達して、昔より詳細に未来予想図を作ったりできるようになったけど、映像ってのはイメージを固定しちゃうほどインパクトが強いから、ともすれば、逆に想像力の広がりを抑制してしまう。
想像のものに完全なリアリティを与えることは、本来無理。現実には存在しないんだから。でも、映像には説得力があるから、「これはリアルだ!」と言われれば、なんとなくリアルだと思い込んでしまう。もちろん素材感とか、根拠のあるリアリティは存在するけれども。
今の映像技術はそういう危険な面もはらんでいる一方、見るものに与える情報量は増えた。これを使わない手はない。けど、そうであればこそ、脚本や演出にも多大な力を注がなきゃ、見た目だけのものになってしまうんだろうなと思う。原作があると、それを貶める可能性まであるから、その分も含めて気をつける必要があるのかなと、そんな風に思います。以上(←パクった)。
 
余談になるけど、日本でアニメや漫画が発展したのって、曖昧さに価値を認め、イメージ拡大のゆらぎを良しとする文化が下地にあるからなんだろうね。
デフォルメした絵は、1枚では不完全なものでしかないけど、それぞれがなんとなく持つイメージを連続させることで、全体として1つの大きな世界となる。絵であるからこそ存在する隙に、想像力が入り込んでこそのものだよね。